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あなたも知ってるポーランド人(その1)
〜ショパン編〜
ポーランドの著名人としてまず最初に名前が挙がるのは、やはり「フレデリック・ショパン」でしょう。ピアノの詩人とも呼ばれ、ピアニストとしてまた作曲家として世界中で愛されているショパン。もはや世界で彼を知らない人はいないといっても過言ではありません。
幼い頃から素晴らしい音楽の才能を発揮したショパンは、1810年に首都ワルシャワの北数kmにあるジェラゾヴァ・ヴォラの村で生まれました。その後生後7か月で首都ワルシャワへと移り住み、二十歳でポーランドを離れるまでの間をワルシャワで暮らしました。ポーランドを離れてからは父親の祖国であるフランスへと移り住み、ショパンの作曲家としての活動は主にフランスで行われました。そして、結核の病により39歳の若さでその生涯を終えました。
ポーランド人として、祖国に対する強い愛国心を持っていたというショパンは、たとえ自分の父親がフランス人であっても、自分をポーランド人と考えて疑うことはなかったと言われています。当時の不安定な国際情勢の影響もあり、彼がフランスに移住してから39歳で亡くなるまでの間に祖国ポーランドへ帰るという夢は叶いませんでしたが、ショパン自身が残した遺言により、亡後の彼の心臓だけがワルシャワへ帰国することになりました。ポーランドに持ち帰られた彼の心臓は、今でもワルシャワの聖十字架教会の柱の中に安置されています。 それほどまでに、祖国ポーランドへの想いが強かったのですね。
ショパンがポーランドを愛していたのと同じように、ポーランド人もまたショパンの音楽を愛していました。独立を目指して激動の時代を生きたたポーランド人たちの心は、常にショパンの音楽とともにありました。 その当時を知らない現代のポーランド人たちも彼に深い親愛の念を抱いており、ワルシャワ各所に存在するショパンゆかりの地を訪れるポーランド人は今日でも途絶えることがないそうです。
生涯ポーランドを愛し続けた天才音楽家ショパン。彼の生涯を想像しながら彼の曲を聞けば、そのドラマティックな響きも切ない旋律も、また違った味わいを帯びてくるかもしれませんね。